大人になるためのリベラルアーツ 複数の立場 自由に往復 常識脱し心開く/知識活用、自ら判断 藤垣裕子・東京大学教養学部副学部長

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http://www.nikkei.com/article/DGKKZO00283310Q6A430C1CK8000/

語学や歴史や古典を学ぶことが教養と言われる。しかし、それらを学んで知識を蓄積することがそのまま教養につながるわけではない。語学教育は「日本語で理解し、説明するときの日本語でのものの見方」と「外国語で理解、説明するときの外国語でのものの見方」の間を往復することを意味する。同じ概念を示すはずの言葉が、実は言語によって意味の分節の仕方が異なり、世界の把握の仕方が異なることを学んでこそ、日本語の制約から自由になれるのである。

同様に歴史を学ぶことは「現代の文脈でのみ理解し、説明するときのものの見方」と「歴史的背景を含んだ文脈で理解し、説明するときのものの見方」との間の往復の力をつけてこそ教養となる。古典を学ぶことはテキストの書かれた時代と現代との往復、およびテキストの書かれた国と日本との間の往復である。

このように考えると、後期教養教育とは枠を越えて複数のコミュニティーを往復する力をつけ、そのことによって自らを相対化する力をつけ、制約から解放されること、ということができるだろう。こういった思考演習はガラパゴス社会といわれる日本社会、すなわち組織や制度をいったん確立すると壁を作ってしまい相互交流できなくなる特徴をもつ社会に対し、風穴を開ける力を育成することになるだろう。

リベラルアーツの重要性を再認識するとともに、まさにこれからの時代に必要な能力だと思いました。