沖縄返還の功罪 「核抜き、本土並み」佐藤首相、言葉で打開

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http://www.nikkei.com/article/DGKKZO90332680Z00C15A8TZG000/

「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国にとって戦後が終わっていないことをよく承知しています」返還交渉の見通しが立たない段階での思い切った発言は住民に反響を呼んだ。滞在中の佐藤はどこでも歓呼に迎えられた。17世紀初頭、薩摩藩の琉球侵攻で始まった本土と沖縄の関わり。双方の距離が最も縮まったのがこの日だったのではないだろうか。

米軍はアジアの拠点である沖縄の基地を手放すことに抵抗した。空港声明を事前に読んだ米政府は「沖縄の戦略的・軍事的重要性に言及されていない」と佐藤に文句を言っている。佐藤は沖縄を統治するワトソンに「国際情勢からみて(返還は)急々に実現されうるものではない」と釈明した。

外務省は日米で協定を結び、在沖米軍は特別扱いする案などを検討した。さりとて非核三原則を掲げる佐藤がそのままの沖縄を受け入れるわけにはいかない。結局、佐藤は返還条件として「核抜き、本土並み」を打ち出す。世論に支持され、対米交渉でも重要なキーワードになった。

やはり沖縄は日本の中でも特別。県民の4人に1人が亡くなった1945年沖縄戦から、2014年の翁長知事当選までの沖縄史が概観できました。


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