日韓交渉で何があった? 現代史伝える新聞の役割

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http://www.nikkei.com/article/DGKKZO88634030Z20C15A6TCP000/

日韓基本条約が結ばれたとき、日本は韓国に3億ドルを無償供与し、2億ドルを有償供与つまり資金の融資、日本の民間企業が3億ドルの資金協力をすることで話がまとまりました。韓国政府は、日本から得た資金で製鉄所や高速道路を建設し、その後の「漢江の奇跡」と呼ばれる経済成長につながりました。

日韓の国交正常化交渉は51年から65年まで、実に14年間もかかっています。暗礁に乗り上げていた交渉を前に進めるきっかけになったのは、62年、当時の外相だった大平正芳と韓国中央情報部長の金鍾泌による東京会談でした。

当時の池田首相が大平外相に提示した資金の枠は8千万ドル。これに対して、朴正熙は6億ドル以下では受け入れられないという方針を打ち出していました。両者の主張は真っ向から対立。遂に大平は、こう言ったというのです。「両国は永遠の隣人です。あなたの方はせっかく独立し、困難な国の建設をしなければならないわけだから、貴国の未来に向かっての前進をお手伝いいたしましょう」

自分自身、国交正常化交渉当時のことについてもっと知ってから日韓関係を観るべきだと思わされました。ドラマがありそう。


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