戦後70年 追悼をたどる 「靖国」定まらぬ道筋 A級戦犯合祀で混迷深まる 遺族に賛否 外交にも影

9695999993819695E2E69AEBE58DE2E5E2EAE0E2E3E79191E3E2E2E2-DSKKZO9064592018082015CC1000-PB1-3

http://www.nikkei.com/article/DGKKASDG04H97_X00C15A8CC1000/

靖国神社は戦後、旧厚生省が遺族援助の目的で作成した戦没者名簿に基づき、公務死した軍人・軍属らを遺族の意向とは関係なく合祀してきた。同省はA級戦犯14人も名簿に載せ、66年に神社側に通知。当時の宮司、筑波藤麿は合祀を留保したが、78年に後任の松平永芳が「昭和殉難者」として踏み切った。

A級戦犯の遺族の受け止めは一様では無い。文官で合祀された元外相、東郷茂徳の孫の京都産業大教授、東郷和彦は年に1度、学生を連れて靖国を参拝する。和彦は、国民全体が受け止めるべきだった戦争の責任をA級戦犯が引き受け、それが敬いの対象になっていることは不自然ではないという。「多くの人が『靖国で会おう』と言って死んでいったことは無視できない。追悼の場は靖国しかない」とも語る。

13年には米国のケリー国務長官とヘーゲル国防長官が、身元不明の遺骨を納めた無宗教の千鳥ケ淵戦没者墓苑を訪れ献花した。「靖国問題の原点」などの著書がある東京理科大嘱託教授の三土修平は、富田メモの発掘と米閣僚の千鳥ケ淵献花の2つが事態を前進させる好機だったとみる。だが「政治家が逸してしまった」と指摘する。

富田メモの発掘と米閣僚の千鳥ケ淵献花がなぜ事態を前進させる好機だったのかがよく分かりません。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です