反知性主義と「教養」の回路

http://www.nikkei.com/article/DGKKZO14676450Z20C17A3TCR000/

好きなように、好きな世界を眺める。インテリの世話にはならない……。いわゆる反知性主義の風が吹くなかで「教養」はいかにも分が悪い。知性自体への反発というより、権威化した知性への嫌悪感が募っているのは、いまの日本にも通じるだろう。

ところが、そういう反知性主義的なメンタリティーが、教養への憧憬と表裏一体だった時代もあるという。立命館大の福間教授が展開する説だ。福間教授が注目するのは、戦後まもないころ、義務教育を終えて働く若者を対象に発刊された「人生雑誌」だ。「手記を読み込むと、知識層への嫌悪感の強さがわかる」と福間教授は言う。「しかし、だからといって知的なものを否定するのではなく、インテリが独占している知性へ自分たちを接近させよと迫っている。反知性主義的知性主義といってもいい」

ネット空間には、じつにさまざまな「話」が飛び交っている。そのほとんどは落書き、あるいは私的なメモだ。しかし、思わず膝を打つような「論」に出合うこともある。SNSでやり取りされる会話にも、ときに鋭い「知」はにじむ。

教養を反知性主義から考える点、戦後と現代の反知性主義について述べられてていて、興味深い内容でした。