ピクトグラムを生んだ11人の侍 64年大会のレガシー

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http://www.nikkei.com/article/DGKKZO08253700S6A011C1UP2000/

「日本人にフランス語は絶望的に通じない。英語もかなり危ない。そして外国人には日本語がほぼ通じない。それでも競技と必要最小限の施設は分かるように表示しないといけなかった」と東京五輪アート・ディレクターを務めた美術評論家の勝見さん。家紋にヒントを得て、紋章のような「シンボル」を作ることにした。

赤坂離宮にあったデザイン室に、20~30代の若手グラフィックデザイナー11人が集められ、施設シンボルの作成が命じられた。そこにいたのは田中一光氏(のちの無印良品アートディレクター)を中心に横尾忠則氏、宇野亜喜良氏、福田繁雄氏ら、長じて“大家”と言われる人ばかり。

「みなさん個性が強いから、画風をそろえるのは大変だった」と、まとめ役だった道吉さんは振り返る。最後は35種類が完成。トイレはドレス姿の女性と、スーツ姿の男性で表す案に落ち着いた。「ドレスは当時最先端のマリー・クワントのミニスカートを参考にした。このトイレマークが後に世界中に広まったのには驚いた」と道吉さん。

個性的なメンバーのアイデアをいかに一つのシンプルな表現に仕上げていくかの様子が垣間見えました。