正恩氏、権力への執着 「潜在的脅威」排除か 正男氏暗殺、5年前から命令

http://www.nikkei.com/article/DGKKASGM15H7H_V10C17A2EA2000/

金総書記が死去し、三男の正恩氏の体制が事実上始まった。長男の正男氏は北朝鮮を離れていたが、国家情報院の報告では、正恩氏は間もなくこの腹違いの兄の暗殺を指示した。正男氏は自身と家族の助命を願う書簡を正恩氏に送った。だが北朝鮮の対外工作機関、偵察総局はその後も暗殺の機会をうかがっていたという。

元北朝鮮外交官は正男氏について「海外生活が長く政治的影響力や国内基盤もない」と話す。後ろ盾とされた親族の張氏も正恩氏が処刑した。「明らかになったのは、正男氏を5年間追い続けた正恩氏の執拗な人間性」(元朝鮮労働党幹部)。

国家情報院によると、中国当局が正男氏の身辺保護にあたっていた。朝鮮半島での不測の事態に備えて中国が正男氏の擁立を探っていたとの見方がある。トランプ米政権が北朝鮮への強硬姿勢を鮮明にし、体制転覆を狙っているとみた正恩氏が焦り、代わりとなり得る正男氏を殺した、との観測もささやかれる。

真実が出てくるとは思えず、このまま闇の中という感じでしょうか。体制からすると異質な存在だったようですね。


「習・朴」10年の蜜月 中国抗日式典、厚遇の舞台裏 日本外交の変数に

http://www.nikkei.com/article/DGKKASDC09H03_Z00C15A9EA1000/

2005年7月、浙江省党委員会書記だった習氏は訪韓時に朴氏との面会を申し入れた。朴氏の父、朴正熙元大統領が70年に始め、経済成長を支えたとされる農村近代化運動「セマウル運動」を学びたいと考えていた。朴氏は受け入れ、昼食会まで用意し習氏をもてなした。

「2人は境遇が似ており、共感しているようだ」と韓国政府関係者は話す。父親が大統領、副首相というともに政治エリート一家に生まれ育ちながら、順風満帆ではなかった。朴氏は父が暗殺されると、父の側近たちに次々と背を向けられた。習氏は文化大革命時代に父が批判され、中学生だった自身も、都市の知識青年を農村に送って肉体労働などに就かせる「下放」政策のもとで、厳しい生活を強いられた。

北京での式典後、朴氏は上海に移り「大韓民国臨時政府庁舎」の再開館式に出席した。日本の植民地時代に独立運動の拠点となった場所だ。昨年は安重根の記念館が建てられた。ともに協力的でなかった中国が朴氏の要請を受けた習氏の号令で動きだした。韓国を取り込み、安全保障面の「日米韓連携」の分断や歴史問題での対日けん制の思惑が透ける。

朴正熙氏から「セマウル運動」について学んだ習氏。今の中韓関係は2005年のこの出会いにまで遡ると理解が深まります。